『同和』の由来とその願い

『同和』の由来とその願い

当会の理事研修会で「『同和』という言葉には、どんな意味があるのか」という問いかけがありました。均質性が高く単一的民族性の性格が強い我が国にあって一部の同胞が、生まれによって特別視・差別視されている部落問題、即ち『同和』問題は、世界的に類例のない我が国最大の差別問題であります。

『同和』という言葉が、いつ、誰により、どのような経緯で述べられたものか、二文字に込められた願いは何か。それを知ることは、この問題の解消に携わる私たちにとって大事な課題が与えられたと受け止めました。

早速、人権にかかわる書籍等に目を通し次のようなことを知りました。それには、同和奉公会の名称についてと題して、次のように述べられていました。


「今般(こんぱん)中央融和事業協会が名称を変更(へんこう)し同和奉公会として再出発(さいしゅっぱつ)することになったが、その名称(めいしょう)の出典(しゅってん)は 今上(きんじょう)天皇(てんのう)朝見(ちょうけん)の御儀に賜(たまわ)りたる 勅語(ちょくご)に 人心(じんしん)惟(こ)レ同シ(おなじ)ク民風(みんぷう)惟レ和(わ)シ 汎(ひろ)ク一視同仁(いっしどうじん)ノ化ヲ宜(む)ヘ(べ) 永(なが)ク四海同胞(しかいどうほう)の誼(よしみ)ヲ敦(あつ)クセンコト 是(こ)レ朕(ちん)カ(が)軫(しん)念(ねん)最モ切ナル所ニシテ丕(ひ)顕(けん)ナル 皇祖考(こうそこう)ノ遺訓(いくん」)ヲ明徴(めいちょう)ニシテ丕承(ひしょう)ナル 皇考(こうこう)の遺志ヲ継述(けいじゅつ)スル所ノモノ實(じつ)ニ此(ここ)ニ存ス と宣(のたま)はせたるによるものである。(『同和国民運動』第176号、1941年7月10日)」と。


『同和』の言葉は、この勅語の一節、人心惟レ同シク民風惟レ和し汎ク一視同仁ノ化ヲ宜べが、その由来になったとされています。この勅語は昭和天皇が即位に宣べられたものであります。因(ちな)みに前述の同和奉公会とは、どのような会であったのか・・・

明治政府をはじめとして日本政府は戦前、部落問題を我が国の大きな社会問題として認識され融和事業と称して行政施策推進や様々な民間事業の支援を行い、この問題の解消に努めてきました。往時(昭和13年)文部省から8月29日付け訓令によって「國民一體(くにみんいったい)同胞(どうほう)融和(ゆうわ)の實(じつ)を擧(あ)ゲ」の文言を掲げ各府縣知事等あて部落差別解消の示達(じたつ)が発せられています。

1930年代戦時体制が強まる中で、官民の融和事業団体が翼賛団体である同和奉公会へと一本化。昭和16年に中央融和事業協会が『同和奉公会』と名称を改めてから『同和』が行政上の公的な用語として使用されるようになったということです。

『同和』の出典となった詔(みことのり)、「人心(じんしん)惟(これ)レ同シ(おなじ)ク民風(みんぷう)惟(これ)レ和(わ)し汎(ひろ)ク一視同仁(いっしどうじん)ノ化(か)ヲ宜(む)へ(べ)」にはどんな願いが込められているのでしょうか。日本民族は、もと単一民族として成立したものではありません。上代においては、先住民(含む アイヌ人)や大陸方面からの帰化人がこれに混融同化して形成されている国です。日本は、単一民族国家ではなく、均質性に近い単民族国家といえるのではないでしょうか。

詔に込められている大意は、「人の顔は百人百様のように日本に居住する人々は、出自・人種の違い、物事の考え方や思い・信条が人それぞれによって違います。言葉や信仰する宗教も異なります。貧富の差もあり、社会的な身分や家柄も異なります。その違いによって人を差別したり、偏見の目でみたり、判断することは厳に慎まなくてはいけません。どのような境遇の中で生まれ育った人ともその違いを超え格差なく接することが大事なことです。

また、居住している地域には、その土地々々により、長い歴史の中で生まれ、育まれ、伝承されてきた地域固有の文化があります。地域によって人々の生活習慣や風俗・風習、慣習も異なります。昭和の御世を迎えるにあたり古くからの悪い習慣や悪習に縛られることなく、それを打ち破り、寛容な心と慈しみの心をもってすべての人と平等に接していくこと。且つ、異なった文化も互いに認め合い、受容していくことは極めて大切なことである。昭和をそのような御世にしたい」と。

加えて、詔の「四海同胞ノ誼ヲ敦クセンコト」、この一節には、世界平和と世界各国の共存繁栄の促進を冀(こいねが)うお気持ちが伺われます。

上述のように『同和』の二文字には、国民一人一人が自らを輝かせ共生・共存できる民心の和合と国民の幸せ、国の安寧・平和な国づくりへの強い願いが込められていると理解いたしました。なお、昭和天皇のこの願いは、元号の策定の折にもあらわれました。宮内省第一案に「神化」「元化」「昭和」「同和」「継明」「順明」「明保」「寛安」「元安」が併記されて勘申されました。いくつかのステップを踏まえて「昭和」「元化」「同和」に絞られ、最終的に「昭和」に決定されたということであります。「昭和」の元号の出典は、書経暁天の「百姓(ひゃせい)昭(しょう)明(めい)にして、萬(ばん)邦(ほう)を協和(きょうわ)する」。

その願いは、「国民の平和及び世界各国の共存繁栄を願う」意味をもたせたことばであります。
『同和』に込められた願いと同様、国民の平和と民心の和合が図られた明るい国づくり及び世界各国の共存繁栄を促進しようとしたものであると推察いたします。『昭和』の二文字にも『同和』と同様に我が国の平和と民心の和合、並びに日本国にとどまらず世界平和を促進しようとした強い願いが込められていると解します。   

国際社会に生きる現下の私たちは、改めて『同和』の二文字は深慮をめぐらし、深遠な意味合いを込め、高い理念を秘めた言葉であると思料いたします。『同和』の由来に思いを馳せ、「人権が尊重された社会づくり実現の要諦(ようてい)は、同和に込められた願いの実現にあり」と強く思う昨今であります。


静岡県人権・地域改善推進会教育啓発委員長 入屋昌巳


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