いま自分のムスメは日本の小学校に通っています。
妻は中国出身ですので、 ムスメは混血児ということになります。 しかし中国人の大多数である漢民族と日本人とでは見分けがつきませんので、 日本ではだれからも見かけで差別されるようなことはありません。 しかし他の中国人に家内を紹介するときには 「漢民族です」 と言います。
またパスポートにも漢民族と書かれています。 しかし中国の現地では漢民族と少数民族とは、 学校でも職場でも地域でも、 区別されています。 その区別を多数派の民族指導者は 「保護」 と言っています。 自治区という地域の名前はついても、 実際には自治権などありません。 かつて自立国家を持っていた地域の人たちは中央政権から周縁部に追いやられています。
またパスポートには 「労働者 (工人)」 と書かれています。 これと対をなすのが 「農民」 です。 農民というのは農業を職にしている人たちではなく、 戸籍 (戸口) が農村にあるということです。 農民は都会に出ることが許されません。 かりに労働者と結婚しても農民は農民です。 医者の農民もおり、 教師の農民もいます。 これは中国で大多数を占める農民を土地に縛り付けることによって、 都市のスラム化を防いでいるのです。
中国には社会的に格差というものがあります。 都市と農村、 労働者と農民、 工業と農業これは農村、 農民、 農業の 「三農問題」 とも言われます。
あるとき、 日本で中国人研修生を受け入れている企業の人事担当者と話しました。 「なぜウチの工場に来る中国人は農民なのですか?」 「立派に労働しているではありませんか?」。 しかし農民と労働者では 「階級」 が違うのです。 この階級差別も中国の大きな問題です。
ムスメの学校にも同じクラスで、 やはり中国人を母親に持つ児童がいます。 幸いその子の母親も漢民族で労働者ということで、 家内とはお付き合いがあります。 もしもその二項目のうち一つでも違ってしまえば、 どちらかがお付き合いをやめてしまうでしょう。 中国は複雑な階級社会です。 そこには中国共産党という国家を超えた大きな存在があります。
家内の亡父は共産党員でした。 共産党員になるために、 少数民族地域の開拓団に入りました。 母親は開拓団の仕事上の事故で、 家内が二歳のころに亡くなりました。 開拓団は日本の屯田兵と同じく、 軍隊の編成になっていましたから、 戦死扱いとなりました。 郷里には母親の立派な墓標があって、 そこには 「烈士、 第8師団兵站部」 と書かれていました。
このような家庭の出身は、 中国では 「英雄の家庭」 と呼ばれて、 かなりいい待遇で生活できました。 夏は摂氏五〇度、 冬は零下五〇度という過酷な環境の開拓地から、 首都の北京に出ることができたのは運が良かったからだと言います。 そしてまた自由の日本に来たのは、 それが叶わない多くの人々を踏み台にして来たことを忘れてはなりません。
(NPO法人日中環境中心理事)