「子育てと自分育て」 について考える―偏見の伝達者にならないために 藤田 敬一

いつぞやバスに乗っていたら、 うしろの席からお母さんの声が聞こえてきました。 「あんな仕事、 いやだね。 あなたはあんな仕事をしないよね」。 すると小学生らしい息子さんは 「うん」 と返事。

「子育てと自分育て」 について考える―偏見の伝達者にならないために 藤田 敬一

窓の外を見ると、 タワー式駐車場で車の出し入れをしている男性の姿がありました。 親の職業に対する見方が、 ストレートに子どもに伝えられている瞬間でした。

また、 女子大生が障がい児を車椅子に乗せて散歩に出かけたとき、 二歳くらいの子どもが駄々をこねて道に寝そべっている。 二人で 「お母さんは大変やね」 と語り合っていたら、 母親が、 車椅子の少年を指さしながら、 「言うことを聞かないと、 あんな人になるよ」 と子どもに言っているのが聞こえてきたという。

この場合も、 親の障がい者へのまなざしが子どもに伝えられているわけです。

こうして、 子どもたちは親などの身近な人から、 あるいはテレビなどを通して、 職業観や身体観、 人間観を身に付けていきます。 わたしたちは無意識のうちに子や孫に自分の偏った価値観を伝える媒体 (仲立ち) の役割を果たしているかもしれないのです。

娘が小学四年生のころでしたかね。 「おとうさん!おとうさん!テレビに変な名字の人が出ているよ」 と言うのです。 テレビの画面を見たら、 夏の甲子園大会で京都商業高校と報徳学園高校の決勝戦が映っていました。 スコアボード横に掲示されている両チームの選手名には李や韓、 鄭といった漢字一文字のものがある。

そこで、 わたしは娘に 「日本の名字には漢字二文字が多い。 もちろん森さん、 畑さんといった漢字一文字の名字もあるけれど少ない。 しかし、 朝鮮半島や中国大陸、 台湾では漢字一文字の名字が多いんだよ」 と言うと、 娘は 「ふ~ん」 と納得した様子でした。 ここから分かるのは、 大人がきちんとした知識を身に付け、 偏見から免れた価値観をもって子や孫に接することの大切さです。

人権というとむずかしいと考えられがちですが、 人間をどう見るか (人間観) ・人とどう向き合うか (生き合い方観) ・どう生きるか (生き方観) をいま一度振り返り、 自分はどうであったか (過去) ・どうであるか (現在) ・どうであろうとしているか (未来) を考えることにほかなりません。

人間は文字通り 「人と人とのあいだ」 です。

人は、 人とのつながりの中で生き合い、 生きる力をもらっている。 「人権とは、 よく生き合いたいという願いに根ざすもの」 と、 わたしは考えているのですが、 どうでしょうか。

(岐阜県人権懇話会会長・元岐阜大学教授)


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