親の姿として私の脳裏に浮かぶのは、 北の国の川でボロボロになって死んでいる鮭の姿だ。 それは広い海を故郷の川を目指して泳ぎきり、 伴侶を得ると全力で卵を産みつけ、 傷だらけになりつつ、 最後は稚魚の餌として身を捧げながら死んでいく鮭達。 彼らは自然の摂理の中で、 不平を言うこともせず黙々とその使命を果たしながら、 その生涯を終えるのだ。
では人間はどうだろうか?
子どもには本当に自分の時間を奪われる。 やりたいこと、 やらないといけないことをする為の時間や、 時にはじっくり考える時間さえも奪われる。 お金だって一人前になるまでに、 一体どれほど必要か、 考えると気が遠くなる。 心さえも、 どれ程投入し、 悩み、 心配することが多いことか?
それでも、 ただ愛ゆえにさまざまな問題を一つ一つ乗り越えていく。
そして、 子ども達は本当に小さくて何もできないうちから、 その親の愛に応える術を知っている。 子どもの笑顔がどれ程、 愛らしく、 その姿に心をくすぐられ、 その寝顔にどれ程なぐさめられることかそして親を慕うその様子に親は少しずつ責任感や強い愛を身につけていくのだ。
子どもと共に親が生まれ、 子どもの成長に合わせて親が育っていく。 だから子どもがいるが故の苦労は親にとって恵みでさえあるのだ。
何億年もの間、 多くの生き物達は違う種の間では互いに需要と供給によって生命を維持しながら、 誰に教えられることも無く、 その生命の輪を後世に連結していく。 そして、 そのどの場面を覗いても、 そこには確かに親と子が存在するのだ。 その為に必要な性が独立化する傾向にある現代社会。 その未来は、 どんな世界へ向かうのだろう?
せめて、 今、 自分は目の前にいる息子が幸せな家庭を築き、 家族を養い、 良い夫、 良い父になれるように、 注意深く見守りながら、 愛情を注いでいきたいと思っている。
(浜松市)