優秀賞「結婚、転職そして無職」 Skipjack(スキップジャック)さん 会社員 愛知県岡崎市

●登場人物
社長 50歳 男
守田 課長 42歳 男
寺河 平社員 41歳 男
桝田 平社員 28 歳 男
妻 桝田の嫁 38歳 女


優秀賞「結婚、転職そして無職」 Skipjack(スキップジャック)さん 会社員 愛知県岡崎市



スポットライトに照らされた桝田が語り出す。

桝田 私の名前は桝田。結婚を機に地元の静岡県を離れ、愛知県へ移りました。
転職先がなかなか決まらず焦りましたが、中小企業ながら愛知県では名の知れた会社に就職が決まった事もあり、順風満帆の新婚生活を想像していました。
しかし現実は厳しく、壮絶な三か月間が待っていました。

暗転

明転

とある中小企業の食堂。中途採用で入社した桝田が、朝礼で集まった社員に向けて緊張した様子で挨拶をする。桝田の向かいには社長、守田、寺河がいる。

桝田 おはようございます。今日から一緒に働かせて頂く桝田と申します。前職は鰹節の製造メーカーで商品開発をしていました。
同じ食品の商品開発ではありますが、味醂についての知識はまだありませんので、一から勉強していきます。
ご迷惑をおかけする事もあるかと思いますが、どうぞ宜しくお願い致します。

拍手をしながら前に出てくる社長。桝田の横に並ぶ。

社長 桝田くんには我が社の主力商品「かけて味醂、つけて味醂」につぐ新商品の開発を期待しています。
これまでの我が社に無い、新しい発想で開発を進めて貰いたいと思います。それではこれで朝礼を終わります。
今日も一日頑張りましょう。みなさん持ち場に戻って下さい。守田君ちょっと来てくれるかな。

社長に呼ばれ近づいてくる守田。寺河は工場へ戻る。

社長 君の上司になる守田課長です。

守田 守田です。一緒に働くのを楽しみにしていたよ。よろしく。

桝田 こちらこそ、よろしくお願いします。

守田 そんな緊張するなよ。仕事でそんな弱気な態度を見せたら嘗められるぞ。

桝田 すみません。昔からあがり症で、人前で喋ることに慣れていないんです。

守田 仕方ないな、俺が一から鍛えなおしてやるよ。

桝田 はい、よろしくお願いします。

暗転

始業のチャイムが鳴る。

明転

隣り合わせの机に桝田と守田が座っている。

守田 よし、今日はもう仕事を切り上げて飲みにでも行くか。お前の歓迎会だ。

桝田 え、今日ですか?すみませんちょっと妻に相談してみます。

守田 おい、せっかく上司が誘っているのにその態度は何だ。無礼だぞ!

桝田 すみません。歓迎会を開いて頂く事は嬉しいんですけど、急に言われても新婚で家庭もあるので…

守田 飲みも仕事のうちだろ。それにこんな事で嫁に文句言わせるなよ。

寺河が現れる。

寺河 お疲れさん。どないしたん守田さん、大きな声出しちゃて。桝田が何かやらかしたん?

守田 こいつを歓迎会に誘ったのに、断りやがってさ。

寺河 それはあかんな。せっかく守田さんが誘ってくれてるんやから行こうや。
あっ、挨拶が遅れたけど、俺は寺河。工場で味醂の仕込みを担当しとる。よろしく。関西弁やけど出身は愛知やで。

桝田 こちらこそ、よろしくお願いします。いや、別に断るとは言ってませんよ。

寺河 よっしゃ、俺も一緒に行くから、三人で歓迎会やろうや。俺は酒のまへんから車で送ってやるわ。

守田 よし、決まりだ。錦三(きんさん)行くぞ!

桝田 「きんさん」って何ですか。

守田 知らないのか。名古屋で有名な繁華街だぞ。馴染みの店があるから紹介してやるよ。

暗転

明転

守田、寺河、桝田がテーブル席で飲んでいる。守田はだいぶ酔っていた。時刻は十二時三十分。終電の時間が過ぎていた。
桝田の携帯に妻から電話がかかってきた。着信に気づき席を外して電話にでる桝田。

桝田 すみません。ちょっと失礼します。

妻 もしもし、もしもし、聞こえてるの?

桝田 もしもし、ごめんごめん。上司が歓迎会を開いてくれててさ。

妻 もう、今どこにいるの。連絡もしないで終電過ぎまで、何やってるのよ。

桝田 連絡しようとしたんだけど、させて貰えなくてさ。

妻 メールくらいできるでしょ。

桝田 本当にごめん。事情は帰ってから話すから。ごめん、もう切るね。

守田 おい、桝田。誰からの電話だ。

桝田 すみません。妻からです。もうそろそろ帰らないと。

守田 なんだとお前は!誰に向かって帰りたいなんて言ってんだ!俺が新人の頃はそんな事言ったらぶっ飛ばされてるぞ。

寺河 ちょっと守田さん落ち着いてや。今日は飲みすぎてるし、そろそろお開きにしようか。お会計お願いしま~す。

守田 なんだよ、せっかく楽しい夜だったのによ。しょうもない部下のせいで酔いが醒めたわ。
寺河さんちょっとトイレ行ってくるからお会計よろしく。トイレに行く守田。

桝田 寺河さん、気を使って頂いてすみませんでした。

寺河 別に気にせんでええで。あんな言い方しとるけど、守田さんはお前が来るの楽しみにしてたんやで。
一緒に開発する仲間ができたって。ホンマやで。

桝田 そうだったんですか。それなのに自分は失礼な事を言ってしまって申し訳なかったです。

寺河 お前はまじめで良いんやけど、社会人としての礼儀がなってない部分もあるからな。まぁ、心配せんでもこれから教えてやるわ。

桝田 はい、よろしくお願いします!

暗転

スポットライトに照らされた妻が語り出す。

妻 私は桝田の妻です。入社初日から終電過ぎまで飲みに連れてくなんて、おかしな会社だなとは感じていたんです。
でも私は会社で働いたことがないし、こうゆうものなのかと、自分を納得させていました。まさかこの日から、こんな日が続くなんて思いもしませんでした。

暗転

明転

次の日の朝、二日酔いで出社する桝田

桝田 それじゃ、いってくるね。

妻 気を付けていってらっしゃい。

マンションをでて歩き出し、電車で通勤する桝田。途中の駅から守田が乗ってくる。桝田に気づき近づいてくる守田。

守田 おはよう。

驚きながらも挨拶する桝田。

桝田 おはよう御座います。守田さんも同じ電車なんですね。

守田 同じじゃまずかったか。

桝田 いえ、そんな事はありません。

守田 昨日は帰ってから奥さんはどうだった。怒ってたか。

桝田 怒るというよりは、心配してたって感じですかね。

守田 新婚なのに悪かったな。

桝田 いえ、こちらこそ、失礼な事を言ってしまい、申し訳ありませんでした。

守田 気にするな。ただ、お前に一つ言っておきたいのは、俺には目標があるんだ。
そのためにはお前も力を付けて、戦力になってもらわないといけないんだ。しっかり頼むぞ。

桝田 はい、頑張ります!

守田 お前、通勤中の電車の中ではなにしてるんだ。

桝田 携帯でゲームとかニュース読んだりですかね。

守田 開発に携わるものがそんなんじゃ駄目だぞ。常に頭を回転させる訓練をしていないと。

桝田 すみません。具体的には何をしたらいいんでしょうか。

守田 例えば、前の席で座ってる人はどの駅で降りるのか予想するんだよ。

桝田 はぁ…

守田 その人の性別、年齢、格好、仕草から推察するんだ。開発には観察力も必要だからな。

桝田 はい、わかりました。

守田 他には身の回りに見える数字を足していくんだ。

守田は中刷り広告に載っている数字や時計の針、電車の速度表示などを見ながら計算を始める。それを茫然と見ている桝田。

桝田 凄いですね。

守田 お前には鋭さが足りない。まだ一日しか一緒にいないが、俺には分かる。自分でもそう感じてるんじゃないか。

桝田 はい、その通りです。

守田 そうだろ。自覚してるなら、今日からやってみろ。毎日続ければ変わるぞ。

桝田 はい、わかりました。

暗転

昼休憩のチャイムが鳴る。

明転

お昼休みの喫煙所。守田は座って煙草を吸っている。

桝田は立ったまま話をしている。

桝田 守田さん、ちょっと気になっている事があるんですが、よろしいですか。

守田 どうした。

桝田 あの、去年の冬に受けた面接で一度、不採用になった私が、その後に採用されたのはなぜですか。

守田 あ~それか。あの時は、開発で欠員が出ることが決まっていてな。引き継ぎの関係ですぐに入社できる事を重視していたんだ。
お前の他にも何人か面接はしたんだが、結局、明日からでも入社できるって言う「仲野」って奴を採用したんだよ。
お前は前の会社の引き継ぎがあるから入社は最短でも二ヶ月後にして欲しいって言っただろ。俺はお前の方がよかったんだけどな。
社長の意向もあって仕方なく仲野を採用したってわけだ。

桝田 僕の前に合格したのは仲野くんて言うんですか。それなのに、どうして僕が後から合格になったんですが。

守田 そいつが入社してから二ヶ月位してからかな。ちょっと事故を起こしたんだよ。そしたら次の日から来なくなりやがってさ。

桝田 えっ!突然こなくなったんですか。

守田 そうだよ、酷いもんだろ。一言謝れば済むような事だったのにな。結局、退職の手続きもせずにそのまま音沙汰なしだ。

桝田 それは酷いですね。

守田 そんな事があったから社長も焦って変な奴を採用したって反省したんだよ。そこで改めて桝田にオファーしたってわけだ。

桝田 そうゆう事だったんですね。

守田 まぁ、このことはあまり周りに言わないでくれよ。みんなもすぐに辞めたやつの事を良く思ってないからな。
お前はしっかり頼むぞ。

桝田 わかりました。まぁ、自分はそんな奴とは違いますから。急に辞めたりなんかしませんよ。

昼休憩終了のチャイムが鳴る。守田と桝田は席に戻り、パソコンに向かって仕事を始める。暫くその状態が続く。

守田 おい、桝田。お前は何してるんだ。

桝田 新商品の企画書を作成してる所です。

守田 お前はパソコン使ってれば仕事してるって勘違いしてないか。

桝田 いや、そんなことはないですけど…。

守田 椅子に座ってても開発なんてできねぇぞ。足を使って情報を取りに行けよ。
スーパーでは何が売れてるのか。駅の売店には何が並んでるのか。パッケージはどんなデザインが流行っているのか。お前は気にしてみた事あるか。

桝田 …いえ、ありません。

守田 そんな事もしないで開発だなんて笑わせんなよ。
前の会社はうちよりも規模は大きかったかもしれないけどな、その程度じゃたかが知れてるな。どうせ上司も無能だったんだろ。

桝田 そんな言い方は止めてくれませんか。それに上司は良い人でした。

守田 俺に口答えすんじゃねぇ!仕事で良い人なんて意味ねぇんだよ。
何もできないくせに糞みたいなプライドだけもってんじゃねぇぞ。とにかくお前は言われた通りにやってろ。

桝田 …はい、すみませんでした。

守田 俺は専門卒だけどな、今まで大卒の奴らに仕事で負けた事なんて一回もないからな。お前も大卒だからって調子にのってんなよ。
わかったらさっさといけ。

桝田 …はい。

外に出ていく桝田。バリバリと仕事をこなす守田。

暗転

スポットライトに照らされた桝田が語り出す。

桝田 守田さんの発言には納得できない部分もありましたが、たしかに商品開発、購買、現場の改善など、
複数の仕事を同時にこなす守田さんは純粋に凄いと思っていました。また、家族を養わなければならないという思いと、
転職したばかりですぐに辞めたら次は無いと感じていたため、守田さんのやり方に従うしかなかったんです。
そのうち何を言われても自分が悪いと思い込むようになっていきました。

暗転

明転

会社に戻ってきた桝田。休憩所にいた寺河に呼び止められる。

寺河 桝田くん、お疲れさん。どないしたん、暗い顔して。

桝田 守田さんに何度も怒られてしまって。怒られるとどうしたらいいのかわからなくなって、手が止まってしまうんです。
そうするとまた怒られて。もうどうしたらいいのか…。

寺河 そうかそうか、ちょっとこっちきてコーヒーでも飲むか。

自販機でコーヒーを買う寺河。桝田にコーヒーを渡す。

寺河 桝田くん。君はまじめすぎるな。もっと柔軟に物事をとらえんといかんわ。まずは守田さんに言われた通りにやってみんか。

桝田 頭ではわかってるんですけど、動けないんです。

寺河 ほんとにわかってるんか?言葉だけ都合よく返事しとるだけちゃうんか。

桝田 …。

寺河 じゃあ、俺の仕事のやり方を教えてやるわ。まず六時三十分には会社に来て今日一日なにをするのか、頭の中でイメージするんや。

桝田 そんなに早く出社してるんですが。定時は八時三十分ですよ。

寺河 緻密なスケジュールで動いてるからな。早めに来て何をするのかイメージして準備しとかなあかんねん。

桝田 凄いですね…。

寺河 この道、二十年の俺でもこんな事しとるんやで。新人のお前が全く準備せんで仕事できると思うか?

桝田 思いません…。

寺河 せやろ。まずはそこから真似してみたらどうや。

桝田 はい、わかりました。

寺河 でも無理にやれっていってるわけちゃうで。残業代もでぇへんしな。

暗転

明転

次の日の朝。桝田の家。暗い中ごそごそと準備を始める桝田。物音で目を覚まし電気を付ける妻。

妻 あなた、こんな朝早くから何してるの。

桝田 ごめん、起こしちゃった。今日からちょっと早く出社する事にしたんだよ。

妻 「ちょっと」ってまだ朝の五時よ。

桝田 六時三十分には会社に着きたいから始発に乗らないといけないんだ。

妻 え~!もう、急いでお弁当作らなきゃ。

桝田 いや、暫くお弁当は作らなくていいよ。最近食欲なくてお昼食べられないんだ。

妻 ちょっと大丈夫なの。少しでも食べないと。

桝田 いや、大丈夫。

妻 それにしても、今日だけ特別に早いなら言ってよね。

桝田 いや、今日から当分の間は早いんだ。

妻 え…ちょっと、どうゆうこと。それ会社の指示なの。

桝田 違うよ。寺河さんのアドバイスだよ。

妻 寺河さん?それって上司の?

桝田 違うよ。上司は守田さん。

妻 え、それっておかしくない?

桝田 別におかしくないよ。ごめん、もういくから。行ってきます。

家を出る桝田。心配そうに見送る妻。徒歩で駅まで行き電車にのる。電車を降りたところで社長と出会う。

社長 桝田くんおはよう。どうしたんだねこんな早くから。

桝田 はい、ちょっと自主的に早めに出てきているんです。それより、社長はこれから出張ですか。

社長 そうだ、東京で接待でね。

桝田 それは大変ですね。気を付けていってきて下さい。では、失礼します。

社長に挨拶をした後、会社へ向かう桝田。

その後ろ姿を見て嫌な予感がしたがそのまま東京へ向かう社長。

会社に着いた桝田。席に座って一日のスケジュールを書き出す。そのあとすぐに寺河が会社に到着し、桝田のいる部屋へ行く。

寺河 おはようさん。

桝田 お早うございます。

寺河 早速、実践してるやん。

桝田 はい、言われた通りまず動いてみようと思って。

寺河 少しずつ、無理せんでええからな。何か分からない事があったら声かけてや。

寺河は部屋を出て休憩所に煙草を吸いにいく。暫くして守田が出社し喫煙所に現れる。

寺河 守田さん、お早うさん。

守田 おっす。

寺河 桝田君、さっそく早く出社しとるで。

守田 すみませんね。寺河さんから指導してもらって。

寺河 ええねん別に。それに桝田君にも力つけて貰わんと駒として使えへんからね。

守田 ただ、前の駒はすぐに壊れたからな。今回は慎重にいかないと。

寺河 ああ「仲野」ね。あいつはあかんかったわ。そんな事ゆうけど、いまの守田さんのやり方、結構えげつないで。

守田 そんな事ないよ。まぁ、あいつは純粋そうだから、ある程度やっても大丈夫でしょ。

寺河 せやな。でも、この前一日中立たせたままパソコンさせてたやろ。あれは笑ろたわ。

守田 あいつに「動け、席に座ってるな」って言ってるのに、まだ座ってパソコンしてたから、
「そんなにパソコンがやりたいなら立ったままパソコンやれ」って言ったら、本当に立ったままやり始めたんだよ。

寺河 あいつは、まじめを通り越してアホやで。

守田 それを見てた周りのやつらも何にも言わなくてさ。他のやつも俺の事が怖くて何も言えないだよ。

暗転

スポットライトに照らされた桝田が語り始める。

桝田 この時にはもう、自分の意思はほとんどありませんでした。ただ守田さんに怒られないようにするためにはどうしたらいいかを一日中考えていました。
そんな状況で働くなかでも、なんとか新商品の試作品を完成させました。

暗転

明転

寺河は喫煙所から工場へ向かう。守田は桝田の席に向かう。

守田 どうだ、試作品はできたか。

桝田 はい、味醂に鰹の出汁を加えて味醂が本来もっている甘味に旨味を加えました。試飲をお願いします。

徳利のような小さな容器に試作品をつぐ

桝田 それを一口飲む守田。

守田 なかなか旨いじゃないか。お前、センスあるよ。

桝田 ありがとうございます!

守田 これで塩分は何%だ?

桝田 二%です。

守田 塩分も低いし、出汁の旨味が効いてていいんじゃないか。早速、商品化に向けて動くぞ。

慌ただしく動く桝田と守田。そこに寺河も加わりさらにドタバタと動き回る。途中で寺河はいなくなる。新商品が完成する。

桝田 守田さん、新商品が完成しました。試飲してください。

桝田はボトルから徳利のような容器に新商品をつぎ、守田へ渡す。一口飲み表情を強張らせる守田。

守田 おい、桝田。これ製造中に試飲したのか。

桝田 はい、しました。

守田 じゃあ、この味はなんだ!こんな塩っ辛い味醂なんて使えるか!

桝田 え…

守田 飲んでみろ!

自分の飲んでいた徳利を渡す守田。それを飲む桝田。

桝田 …特に問題は無いかと…

守田 お前の舌は馬鹿か!おい、塩分は測ったのか?

桝田 いえ、まだ測定していません。

守田 すぐに測れ!馬鹿野郎!

ビーカーのような容器にボトルから液体を入れ、塩分を測る桝田。すぐに結果が表示される。

桝田 守田さん、結果がでました。

守田 何%だ!

桝田 二%です。

守田 …試作品の時は何%だった。

桝田 二%です…。

守田 …、測定ミスだろ。どけ!俺が測りなおす。

再度測定する守田。すぐに結果が表示される。

守田 …。

桝田 何%ですか。

守田 二%だ…。じゃあなんで試作品と比べてこんなに塩っ辛いんだ…。
そうか、試作品の塩分を測り間違えてたんだろ。保存サンプルを持ってこい。塩分を測りなおすぞ!

試作品の保存サンプルを持ってくる桝田。その塩分を測定する守田。すぐに結果が表示される。

守田 二%…。どういうことだ。

桝田 おそらく、作りたてなので塩カドが立っているだけだと思います。製造工程でのチェック項目も全て問題ありませんでしたし。
時間がたって味が馴染めば特に問題ないかと。

守田の失態に少し微笑む桝田。その様子を見て怒り出す守田。

守田 おい、お前今笑っただろ。

桝田 いえ、笑ってません。でも、

守田 お前は俺の舌が馬鹿だって言いたいのか。ふざけんなよ!

桝田 すみません。そんな事は思っていません。

守田 お前には気合いを入れる必要があるな。歯を食いしばれ!

桝田 え…

守田 いいから早くしろ!

黙って従う桝田。守田は桝田を罵倒しながら何度も殴る。寺河はその様子を見ているが止めに入らない。守田は殴りながら桝田を罵倒する。

守田 「お前は糞だ!」「食品業界にいられなくしてやるぞ!」「簡単に辞められると思うなよ!」「今帰ったらどうなるかわかってんだろうな!」。

暗転

スポットライトに照らされた桝田が語り出す。

桝田 何発殴られたのか、どうやって家に帰ったのか、記憶がありません。鮮明にお覚えているのはあの日の妻の泣き顔だけでした。

暗転

明転

深夜に顔を晴らして帰ってきた桝田。寝ていた妻が起きてくる。

妻 お帰りなさい。遅かったから先に寝かせて貰ってたわ。ごめんなさいね。今日も飲み会?

桝田 うん。

腫れた桝田の顔を見て驚く妻。

妻 ちょっと、あなたどうしたのその顔は

桝田 ちょっとね…。

妻 ちょっとじゃないでしょ。パンパンに腫れてるじゃない。

桝田 うん、大丈夫だから。

妻 もしかして、あの人にやられたの。

桝田 …

泣きだす妻

妻 もう辞めよう。あの人はまともじゃないわよ。

桝田 でも、「辞めたら次はないぞ。ここで逃げたら終わりだ」って…

妻 あなたなら大丈夫、何とかなるわよ。それに、あんな人の言う事信じることないわ。

桝田 でも明日は行くよ。行かなきゃまた何されるかわからないから。

妻 お願いだから行かないで。とりあえず病院に行きましょう。

桝田 いや、大丈夫だから…。

暗転

スポットライトに照らされた桝田が語り出す。

桝田 結局、妻の説得を受け病院に行くことにし、会社を休むことにしました。そして休む事を伝えるため、会社に電話をしたんです。

暗転

明転

桝田が怯えた様子で家から会社に電話をかける。電話の呼び出し音がなる。受話器をとる守田。

守田 おはようございます。六名味醂で御座います。

桝田 お、おはようございます。桝田です。

守田 あぁ、お前か。どうした。

桝田 すみませんが、今日は病院に行くため、休ませて頂きたいのですが。

守田 なんだ、体調でも悪いのか。

桝田 その…、首と顎が痛くて。

守田 首と顎?どうした、何かあったのか?

桝田 いや、昨日の…

守田 何だお前が殴れって言ったやつか。

桝田 いや、あの…はい。

守田 まぁわかった。社長には俺から伝えとくから。

守田は社長の元に行き、なにやら話をしている。桝田は病院に向かう。

暗転

スポットライトに照らされた桝田が語り出す。

桝田 病院での診断結果は「頸椎捻挫」「下顎部捻症」で二週間の加療でした。
病院の先生のアドバイスもあり警察に訴える場合に備え、診断書を書いてもらい、保険証も使わずにおきました。
そして妻と話をした結果、会社を辞める決意をし、次の日には退職の意思を伝えに会社に行きました。

暗転

明転

喫煙所で座りながら煙草を吸っている守田。桝田は立ったまま話をしている。

守田 病院での診断結果はどうだった。別にたいした事なかっただろ。

桝田 「頸椎捻挫」と「下顎部捻症」で二週間の加療と診断されました。

守田 そうか、お大事にな。

桝田 守田課長…もう辞めさせて下さい。

守田 おいおい、急にどうした。

桝田 もう無理です。

守田 少し冷静になったらどうだ。

桝田 すみません。辞めさせて下さい。

守田 仕事を残して辞めるのは卑怯だぞ。そんな事をしたらお前を一生恨むぞ。それにこれで辞めたら人生転がり落ちるぞ。
俺はそんな奴を何人も見てきた。

桝田 …

守田 叩いた事を気にしてるのか?あれはお前を奮起させるためにやった事だぞ。別にお前が憎くてやったわけじゃないんだ。
それに、ここでお前が辞めたら俺の立場はどうなる。お前の指導に使ってきた時間はなんだったんだ。ふざけんなよ。

桝田 …

守田 黙ってちゃわからないだろ。前に辞めた仲野といい、どうなってんだよ。

桝田 すみません…。

暫く沈黙の後、態度を変える守田。

守田 俺の指導の仕方が悪かったなら言ってくれないか。やり方を変えるから。

桝田 …もう、どうしたらいいかわからないです。

守田 俺はその言葉が効きたかったんだよ。今までのお前は「はいはい」言ってたから理解してると思ってたんだ。
わからないならそういってくれ・別のやり方に変えるから。

桝田 …すみません。今日も病院があるので、帰らせて頂けないですか。

守田 仕方ない、今日は帰れ。この件は俺で止めておくからもう少し頑張れ。早退の件は俺から社長に話しておくから。

桝田 はい、すみません。

病院へ向かう桝田。社長室へ向かう守田。社長となにか話をしている。

暗転

スポットライトに照らされた桝田が語り出す。

桝田 結局この後、社長に直接連絡を取りホテルのラウンジで話をする事になりました。

暗転

明転

名古屋駅のホテルのラウンジ。社長が先に来て座っている所に桝田が到着する。

社長が手を挙げて桝田を呼ぶ。

社長 まぁ、座って。コーヒーで良いかな。

桝田 はい。

手を挙げてウェイターを呼ぶ。

社長 コーヒー一つ。で、辞めたいという話だったけど、詳しく話を聞かせて貰えないかな。

桝田 はい、守田課長とはもう一緒に仕事はできません。一緒にいると体が震えてきてしまうんです。

社長 なんで、そんな事になったんだ。

桝田 自分の仕事の仕方が気に入らなかったようで、怒鳴られるようになり、そのうち立ったままパソコンをさせられるようになりました。
最終的には殴られるようになって。これが診断書です。

診断書を社長に提出する。内容を確認し、頭を抱える社長。

社長 これは本当に申し訳ない事をした。今は体の方は大丈夫かね。

桝田 まだ、少し痛みますが大丈夫です。

社長 今日は引き留めるつもりできたんだが、これではどうしようもないな。こんな状態になるまで、自分が気づけずに本当に申し訳ない。
少し前に早朝に駅で会った時におかしいとは感じていたんだが。まさかこんな事になっていたとは。

桝田 社長にはせっかく雇ってもらったのに申し訳ないです。

社長 そんなこと気にするな。今は体をしっかり治す事に集中しなさい。結婚したばかりでこんな事になってしまって、なんと言ったらいいのか。
因みに、守田君に開発から製造課に異動したいという話をした事はあるかい。

桝田 いえ、そんな事は一度も言ってません。

社長 やっぱりか…。開発をしたくて入ってきたんだ当然そうだろうな。わかった。退職の件は承知しました。後で退職願を提出してください。

桝田 ありがとうございます。短い間でしたが、お世話になりました。

それと、一つお願いがあるのですが、守田さんから電話とメールが何度も入ってくるんです。
着信拒否はしているんですが、社長からもう連絡しないように一言いって頂けないでしょうか。

社長 わかった。私から言っておくよ。

桝田 ありがとうございます。それでは失礼します。

席を立つ桝田。一人残り電話を掛ける社長。電話の呼び出し音がなる。

社長 もしもし、私だ。今から帰るから守田を呼び出しておいてくれないか。そうだ、よろしく頼んだよ。

暗転

スポットライトに照らされた桝田が語り出す。

桝田 それからすぐに退職願を提出し、会社を辞める事が出来ました。
初めは守田さんの影に怯えていましたが、暫くすると気分も落ち着いてきました。そんな時に一通のメールが届いたんです。

暗転

明転

守田がパソコンに向かってメールを打っている。パソコンへ入力をしている内容を守田が語り出す。
桝田は自宅のパソコンで守田からのメールに気づく。妻を呼び、一緒に内容を確認する。

守田 桝田へ
社長から辞める件は聞きましたが、挨拶もせず、やり残したことの引き継ぎもせず、
自分のものを片付けもせずにいなくなるのは、研修等々で忙しい中親身になって教えてもらった方々に対して失礼極まりないし、
この恩を仇で返す行動は子供と同じで社会人、大人のやることではありません。

これはリセットボタンのあるゲームではなく、相手は心がある人間です。
会社を辞めることは誰でも持っている権利ですが、権利を行使する前に義務を果たすのが大人のルールです。

辞めてしまえば良いという行動は自分の事しか考えておらず、人の好意を踏みにじる大人としてやってはいけない行為です。
仕事のスキル以前の問題です。取引先を含め周りに多大な迷惑をかけています。言い訳、自己中な悩みを思ってばかりではなく、
家族のために行動をして、少しだけでも信頼してくれた人を気遣える人になってください。

桝田を信じていた一同より

メールを打ち終えた守田は席を立つ。メールを読み終えた桝田と妻。

妻 何この内容、馬鹿じゃないの。

桝田 俺が辞めたのは、自分のせいだっていう自覚は無いんだよね。
自分の事しか考えずに裏工作して社長に嘘ついてたのはお前だろ!

妻 それに家族のためを思って行動してたから限界まで辞めずにいたんじゃないの。
辞めたのも家族のためよ。あのままの生活じゃ、三年後どうなってたか想像できないわ。
メールの送信元の違和感に気づいた桝田。

桝田 ちょっと、送信元のアドレス見てよ。多分あえて会社の共有アドレスから送って、
差出人も「桝田を信じていた一同より」って誰かわからないようにしてるけど、俺のアドレス知ってるの
守田さんだけなんだ。だからこれ誰が送ったのかバレバレなんだけど。

妻 しょうもな。

桝田と妻が声を上げて笑い出す。

桝田 それにしても本当に苦労かけてごめんね。

妻 別にいいのよ。今は私も働いてるし。なんとかなるわ。

桝田 よし、俺もそろそろ就活始めようかな。ハローワークにでも行ってくるよ。

妻 いってらっしゃい。でも、焦って変な会社に決めないでよ。

桝田 わかってるって。

妻 焦らず自分に合った会社を見つけましょうよ。

桝田 そうだね。それにしても結婚して四ヵ月、転職して三ヶ月で無職になるとはね。想像できなかったわ。

妻 でも「人生なにがあるかわからないから楽しいんだ」ってよく言うじゃない。

桝田 まぁ。結婚したのも事故みたいなもんだったしね。

妻 事故ってなによ。失礼ね。プロポーズしてきたのはあなたでしょ。素直に私の魅力に惚れたんだって言いなさいよ。

桝田 はいはい、すみませんでした。
でも俺の記憶では、奥様から「今年中にプロポーズしなきゃ、一月一日に私からプロポーズする」って言われて焦った記憶があるんですけど。

妻 あれ~そうだっけ。

桝田 まったく、都合の良い記憶ですね。

妻 人間は忘れる事ができるから生きていけるのよ。辛い記憶がいつまでも残ってたら嫌でしょ。

桝田 たしかに。じゃあ、これからは二人で楽しい思い出を作っていこうよ。

妻 そうね。でも、これからは二人じゃなくて「三人」でね。

桝田 え…、まさか!

妻 そう、できたのよ。赤ちゃん。

妻のお腹に手を当てて新たな命の誕生を確認し喜ぶ桝田。二人は笑顔で幕が下りる。

暗転

スポットライトに照らされた守田。パソコンに向かってメールを打っている。パソコンへ入力をしている内容を守田が語り出す。

守田 深谷へ

社長から辞める件は聞きましたが、挨拶もせず、やり残したことの引き継ぎもせず、自分のものを片付けもせずにいなくなるのは…

そのままフェードアウトしていく

暗転


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優秀賞「結婚、転職そして無職」 Skipjack(スキップジャック)さん 会社員 愛知県岡崎市
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