バスは、 2泊3日の行程を終え帰路につこうとしていました。 場所は、 東日本大震災で多大なる被害を受けた宮城県気仙沼市。 NPO法人が企画した復興ツアーに、 浜松市内の中高生が参加し、 この地を訪ねたのです。
目的は、 もちろん東北の復興。 次代を担う若者に、 その足で被災地に立ち、 その肌で被災地を感じ、 その目で被災地を見て、 その耳で被災者の声を聴く。 それによって、 末永い復興支援を担える人材になってもらうこと。 さらに、 防災や減災意識を高め、 地元に帰ってからは、 多くの命を支える、 リーダとしての成長を願う意味も込められていました。
大型バスで、 片道12時間に及ぶ道のり。 しかし、 帰路にあった生徒たちは遠回りをし、 気仙沼の港から津波によって、 はるか陸地に打ち上げられてしまった 「第十八共徳丸」 を見たいと申し出たのです。 これによって、 浜松への到着は2時間遅れの午後11時30分になることが予想されました。
思春期まっただ中の中高生。 行きのバスでは、 修学旅行気分で、 はしゃいでいました。 同行した校長先生に一喝され、 気仙沼を訪れる目的を再確認した生徒たち。
しかし、 丸2日間、 被災地に身を置いた経験が、 生徒たちを大きく変えたのを見て取れました。 その変化の現れが、 「第十八共徳丸」 を見たいという言葉になったのでしょう。
現地に到着すると、 生徒たちは言葉を失いました。 巨大な船が、 内陸深く打ち上げられたさまを見たからです。 改めて、 津波の強力なパワーを突きつけられた瞬間でした。 さらに、 舟底には、 下敷きになった車がペチャンコになっていました。 広い緑地帯に見えた船の周辺は、 かつて多くの民家が建ち並んでいたことを、 無惨に残る家の基礎から読み取ることができました。
この時点で解体が決まっていた共徳丸。 旅行者と思われる人も見られました。 旅行者は、 この共徳丸を背景に、 記念写真を撮り始めます。
中には、 ピースサインをして写真に写る人もいます。
それらは、 全ていい歳をした大人たちでした。
しかし、 浜松市内の中高生は違いました。 そこは観光名所ではなく、 被災地であること。 この場所で多くの尊い命が失われ、 今なお、 多くの人が行方不明であること。 そのことをしっかりと理解していました。 一列に並ぶと、 船に向かって手を合わせ、 深く黙もく祷とうをしたのです。
亡き人に対する人権意識。 この時、 その場にいた大人よりも、 はるかに中高生が勝っていました。
(NPO法人魅惑的倶楽部副理事長 浜松市市民協働センター長)