応募作「ハッカ風味のみかんジュース」

一.いつも、自信のない太郎さん

太郎さんは三十歳になったばかりです。
湊町(みなとまち)のはずれにある大学を卒業して、早八年が経っておりました。
実は、介護の仕事、図書館の仕事、大工の見習いの仕事…

いろんな仕事をしてきました。
優しく、お人好しの人柄だけが、唯一の取り柄の太郎さんでした。
でも、生まれながらの性格で、あわてん坊の上、あがり症の性格が災いして、どんな仕事も 長続きしませんでした。

二.今度こそは…

応募作「ハッカ風味のみかんジュース」


八月のお盆近い頃、太郎さんは湊街のハローワークで、
病院の中にある「困りごと相談室」の仕事を見つけました。
そして、もちの木病院で 面接を受けて、採用通知を頂きました。

三.太郎さんの仕事とは…

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もちの木病院に通院や入院する患者さんのお悩みをお聞きして、それを解決することです。

例えば、何かの理由で入院のお金が払えない、退院しても家に帰れない方、これからの人生に困りごとがある
方等、様々なお悩みをお伺いして、患者さんと問題を、一緒に解決・軽減することが、仕事です。

誠実な太郎さんの処には、一人、二人、三人…と、日が経つごとに、悩みを聞いてもらいたい患者さんが、増えてきました。

四.仕事をはじめて七日目の昼下がり…

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太郎さんは、もちの木病院の 院長さんに 呼ばれました。

「ここの仕事は、少しは慣れたかな?」

「はい、お陰様で…」

「君にぜひ、頼みたいことがあります。」

「どのような ことですか?」

「今朝、診察室に老夫婦がいらっしゃいました。」

「毎月一回、おじいさんの健康診断と、おばあさんの持病の腰痛を看ています。」

「その時、おばあさんから ひとつお願い事がありました。」

「普段、おじいさんは、ご飯を食べるコトとトイレに行くコト以外は…

…残念ながら、いつまでも布団の中から出ようとしません。

…これでは、日に日に老いてしまいます。

…此れから、もちの木病院のリハビリに通い、足腰を強くして欲しいそうです。」

太郎さん、どうかね…おばあさんの頼みに、力を貸してくれないかね。

五.「はい、私で出来ることならば…お受け致します。」

こんな自分でも、いいご縁になれるのかなあと、こころの底では、ちょっぴり不安はありました。

でも、二十年前に他界した祖父や祖母の老後の様子を思い出して、自分自身をふるい立たせました。
その日の夕方 早速、太郎さんは、おばあさんの処に電話を致しました。

そして、はじめてお会いする日、即ち三日後の午後二時に、ご自宅に伺うことを約束致しました。

太郎さんは、はじめて院長先生から、直接頂いたこの仕事の重みを、喜びとして感じておりました。

この日の夕方、仕事帰りに、自宅近くの白樺神社へ御参りに行きました。
「神様、どうか、来週の永光(ながみつ)さんとの面談、良い御縁になりますように…」

太郎さんは、ポケットから三十円を出し、御賽銭箱に入れました。

六.当日、約束の時間、三十分前に

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病院の自転車に乗って、出発した太郎さん。ぎらぎら輝くおひさまを背に、自転車をこぎました。

やがて、おじいさんの家の最よりのバス停に、着きました。
バス停の近くの石垣に、太郎さんの方を向いて、麦わら帽子をかぶった小柄なおばあさんが、座っていました。

「こんにちは、暑いですね…」

「こんにちは、お暑うございます…

…あなたは、もしかして、もちの木病院の先生さんじゃないかしら…?」

「はい、そうですが、私はお医者さんではないので、先生さんではありませんが…」

「いやいや、わたしらにとっては、体を治して下さる方々は、誰もみなさん先生さんじゃよ…」

挨拶を交わした後、バス停から、青い自転車を押しながら、狭い道幅を通り、おじいさん達の家に、向かいました。

七.前方に小さな一軒家が見えました。

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家のドアを開けますと、玄関すぐ横に、小さな台所がありました。
そして、流し台の上には、お鍋と、ガラスコップに、緑色の歯ブラシが一本刺さって置いて、ありました。

かなり年代を感じさせるこの六畳二間の家と、家にある品々から、ふたりの日々の生活と、その思いが、にじみ出ているように感じました。

「そうか、…おじいさんが いつもここで 歯を磨いているのかな…」
そう思うと、ちょっぴり温かく、そして懐かしい何とも言えない、温かな気持ちになりました。

八.玄関を一歩、上がらせてもらうと…

その先には、暗いお部屋が見えました。
「おじいさんが いつも床についておられるお部屋は、ここに違いない…」
そう思うと、太郎さんは、元気に挨拶をしました。

「こんにちは、永光 末吉(ながみつ すえきち )さん。」

「うう…あんたは 誰だね…」

「はい。私は、もちの木病院の ソーシャルワーカーの石川太郎(いしかわ たろう)で御座います。

…私は、患者さん達のお悩みごとの相談を致しております。」

「はあ…」

「今日は、院長の依頼で、末吉さんのご様子を お伺いに参りました。」

末吉さんは、急ににっこり笑みを浮かべながら、布団から快く起き上がりました。

九.末吉さんは、寝巻のままでしたが、

先生さんの時間が勿体ないと、急いで身の上話を始めました。

「わしは子供の頃から、読み書きが大の苦手で、学校など ほとんど行ってこなかったよ。」

「小学校を出てから、湊町の饅頭屋に奉公に出て、朝晩、寝る間を惜しまず、死にものぐるいで、働いたよ…。

…いつの間にか気がついたときは、赤紙(召集令状)もらって、遠い国の戦地におったよ…

…苦しく辛い戦争が終わり、大陸から船に乗って、町に帰ってきたら、
…それまで勤めていた饅頭屋は、焼けて跡形もなかった…
…そこで、わしは昔の腕を思い出して自分で新たに饅頭屋をはじめて、
…三年前まで小さな店だが ばあさんとやっていたんだよ…」

おじいさんの目には、当時の状況が、白黒の映画フィルムのように、映し出されているのを、太郎さんにも感じとれるような雰囲気でした。

十.おじいさんのお話しが 盛り上がってきた頃、

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おばあさんが、玄関先の台所で、ゴソゴソ…カラカラ…と、何かをしています。

耳と目を おばあさんに目を向けますと…何かを必死に探している様子でした。

そのような状況がしばらく、いや十分以上、長く続きますと、ようやく落ち着きを取り戻したおばあさんは、
飲み物の冷たさの為に少し白く曇ったガラスコップにいっぱいつがれた ジュースを載せたお盆を持って、私たちの元へやってきました。

十一.「先生さん、この暑い中、申し訳ないね…」

「これ、みかんジュースですが、のどを しめらせて下さいなぁ…」

「有難うございます。お気を遣わせてしまい 御免なさい。

「とても、嬉しいです。」

おばあさんの厚意に、お礼を伝えて、太郎さんは、ガラスコップに手を添えて、ストローを口に致しました。

十二.ゴク、ゴク、ゴクン…

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大地の渇きを潤す雨のような心地よい音が、太郎さんののどから聞こえました。

「ああ、美味しい…

…ああ、幸せだ…

…でも、変だな…何だかハッカの味が、かすかにする…

…何だろう…この味?この風味?」

十三.そう思っていますと…

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おじいさんの口から、

「昨日、うちのばあさんが、町の商店に、ジュースを買いに行ったが、あいにく閉まっていて、やむなく、帰り道にあった自動販売機で買ったのが、このみかんジュースなんだよ。

あんまり種類がなく、若い衆の口に合わないかも知れないけど、勘弁しておくんなさいよ…」

「いやいや、滅相もないです。とても、美味しいジュースですよ…

…私の乾ききった体が元気になりました。感謝の思いですよ。」

十四.そう言いつつも、一瞬台所の台にふっと目を移すと、

「あれ、あれ、先程、玄関先で見たコップと歯ブラシが見えない…」

「ああ…そうか、そうだったのか…」

太郎さんのこころの中で、このジュースの味の意味がわかりました。
そして、太郎さんの小さな目の奥の、奥の そのまた奥の深い処から、温かな涙がこぼれて、しばらく止みませんでした。

おじいさんとおばあさんは、太郎さんの涙を見て…
ちょっぴり気になった様子でしたが、太郎さんに涙の理由は聞かず…

先程と何も変わらず、温かい笑みを浮かべながら、昔の話を続けてくれました。

十五.そして、帰り際に…

来週火曜日に、もちの木病院のリハビリに 見学にいらして頂くことを、約束したおじいさんは 元気な目の輝きを 取り戻しました。
太郎さんも、おじいさんや、おばあさんから、いっぱい愛と、元気を頂きました。

そして、帰り道、生まれて三十年間の中で一番明るい気持ちで、病院に向かって自転車を、こぎ出しました。

十六.あれから三十年。

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太郎さんは、病院を定年退職するまで 一生懸命勤めました。

それこそ、太郎さんの職場の机の上には、ガラスコップにつがれた、
みかんジュースの手書きの絵が ありました。

暑い、暑い真夏の昼下がり、老夫婦から頂いた ハッカ風味のみかんジュースが、新米ソーシャルワーカーのこころと体に、愛と元気を与えてくれました。
おじいさん、おばあさん、ありがとうございました。

今在る自分は…
…あの時のジュースに込められていた、愛(人間の深み)のお陰です…。」
きっと、きっと、そう思って描かれた一枚の色紙かも知れません…。


おしまい


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